枯山水
①禅宗の影響 1つ目の要素は禅宗の広がりです。日本に中国から禅宗が伝えられ、鎌倉時代に本格的に広まり、日本に最初の本格的枯山水が京都の禅寺・西芳寺に禅僧・夢窓疎石(むそう・そせき)によってつくられました。この枯山水は日本庭園史で大きな意味を持つものとなります。 夢窓疎石はもともと浄土式の寺院であった西芳寺に呼ばれ、禅宗寺院として復興していきました。禅宗寺院の形をつくるため、庭も含めた大きな改革を行います。その中で、枯山水を禅の修行をする場としてつくりました。石で表現された大自然と対峙し、見えないもの聴こえないものを感じることが禅の修行のひとつだったのではないでしょうか。 ②盆景と山水画 2つ目の要素は盆景です。盆景とは、お盆の上に砂や石、草木を用いて自然の景色を再現するものです。慶事の際に室内に飾り、客人をもてなしていました。この盆景を庭につくろうと試みた際に、禅僧が好んでいた山水画の趣を加えて石組みで自然を表現するようになったと言われています。 盆景と山水画はどちらも華美な様子はなく、質素でありながら鑑賞に耐えうる芸術的な要素が、枯山水に大きな影響を与えたと考えられます。 この2つの要素の影響を受け、現在知られる枯山水がつくられていきました。
枯山水のルーツ 日本で最初の枯山水についての記録は、平安時代後期の作庭に関する書物『作庭記』の中に見つけられます。そこには、「池もなく遣水もなきところに石をたつことあり、これを枯山水となづく」と書かれています。この頃の日本ではまだ禅は広まっておらず、現在の禅の思想と融合した枯山水とは違ったものだと考えられますが、すでに水なきところに水を見るという造園の考え方が発達していたことがわかります。 残念ながら、平安時代後期の枯山水は現存していないので、どのような枯山水を指しているのか明確にはわかりませんが、現在私たちが知る枯山水とは違うものだったようです。2つの要素が枯山水に影響を与えたと考えられています。
水の紋様 白砂に水を表現するための紋様を「砂紋」と言います。古来より、日本では神聖な場に白砂を敷くという習わしがありました。盆景の影響により、これを水面と見立てるようになっていきます。 砂紋にはいくつかの種類があり、紋様によって川の表現や海の表現などの違いがあります。同じ海でも大波なのか、さざ波なのかという違いも。立派な石組みに目が行きがちですが、地面の砂紋からどのような水面を表しているのか思いを馳せても楽しめそうですね。 砂紋はレーキやほうきで僧が描くことになっています。夢窓疎石は自身の枯山水を塵ひとつ残すことなく表現しています。庭を掃き清めることが、心を清める修行にもつながっていると考えていました。掃除と同じく、砂紋を描く行為は心を静め清めていく修行のひとつなのではないでしょうか。
歴史も織り交ぜながら枯山水をご説明しました。豪華さや派手さはないシンプルな構成ながらも、人を引き付ける魅力を持つ枯山水。禅の修行の場でもあった枯山水は、慌ただしい生活の中で自身を振り返ることを忘れがちな現代の私たちにこそ必要なものなのかもしれません。
Q